藤田バント職人ほんちゃんのおすすめルーム

ゲーム動画ランキング
ここを友達に教える
おすすめベスト10!
1.ボロボロ
2.The Mahavishnu Orchestra
3.バトルネットワーク ロックマンエグゼ
4.田丸美寿々
5.京王線
6.山下智久
7.中島まれ
8.今田耕司
9.野望篇
10.海のトリトン

洋楽ランキング
EXILE CATCHY BEST (DVD付) 俺はEXILEのファン歴5年くらいかな〜。
正直、第2章のEXILEよりSHUNちゃんがいたときのEXILEの方が好き。
第2章は第2章でいいんだけど・・・CDリリースのペースが早くて、
今の人気に拍車をかけて売り出しているようにしかみえなくて^^;
もっと一曲一曲を大切にしてほしいかな!
今回のベストも昨年末のLOVEアルバム+アルファにしか見えない。。。
1年かけて3枚もだすんじゃなくて、年末にボンと出す方がいいんじゃないかと。
以前のPERFECT BESTじゃないけどさ。
EXILEの皆さんには申し訳ないのですが、本当にファンのこと考えてますか??

銀河鉄道999DS(通常版) 銀河鉄道999が大好きで購入しました。
惑星を旅するとの事で、勝手に惑星を色々探検できるかと思っていましたが・・・。
バトルゲームは、少し時間もかかるしつまらないかも・・・。
旅も、同じような感じでずっと続いていきます。もっと、いろいろ工夫してほしかった。(だんだん飽きてきます。)
数年前に、他社で出していたPS版のソフトは惑星も探検できたし、バトルもそれなりに面白かっただけに、今回のDS版には
ちょっと残念でなりません。
もっと進めれば面白くなるかな?

リトル・ピープルの時代 前著「ゼロ年代の想像力」は日本の「文化批評」の貧困が主題だった。日本の「文化批評」は英語の「カルチュラル・スタディーズ」なんぞとは似ても似つかない、はっきりいって大人の鑑賞に堪えないものになりはてている。それを「内側」から告発したのが新鮮だった。

「カルスタ」が被支配階級(サブカルチャーズ)の文化を通じた抵抗や自己規定・自己決定、すなわち「政治(権力)」の問題を常に関心の中心に据えているのに対し、日本の「文化批評」は「政治」を徹底的に関心の外に置いていることが特徴だ。ありていにいえば、金持ちオタクの自慢半分の思い出話か、夜郎自大な文化ナルシシズム(萌え萌えなんとか)のどちらかしかなかった。しかも視点が古い世代の価値観に曇らされていて、それってバブル崩壊や「失われた××年」を経た「いま、ここ」の文化実態とずれてませんか? というのが「ゼロ年代の想像力」の提出した問題だったと思う(そのほか、重要な論点として、問題の解決を女性登場人物、しかも主人公の都合のよいように「傷を負った」女性の自己犠牲に委ねる、著者の言葉でいえば「レイプ・ファンタジー」が挙げられる)。

前著は問題の摘出にのみ力を注ぎすぎて、「じゃあ、どうすればいいの?」という疑問には答え切れていない憾みがあった。それを払拭すべく書かれたのが本書なのだろう。デビュー以来、日本の想像力の展開と寄り添い続けてきた村上春樹(海外では「萌え文化」と地続きのポップカルチャーとして消費されているのでは? という著者の指摘は興味深い。が、証拠がもう少し欲しかった)を導きの糸として、著者は「権力なしの文化批評」から「権力を正面に据えた文化批評」への離陸を試みる。キータームは村上が近著「1Q84」で提示した「ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ」だ。

冷戦の終焉、大衆消費社会の出現、コンピューターと通信技術の発展で世界の支配形態が共産主義のような「普遍的な、大きな物語」によるものから、より日常的でマイクロスコピックでインクリメンタルな、「局所的な、小さな物語」によるものに移行した、とは人文・社会諸科学でこの数十年にわたって指摘されてきたところである。村上春樹の「リトル・ピープル」も、この移行を背景として、それまでの自作に顕著だった一つの傾向(問題の原因を外部の「大きな物語」に求める)を払拭し、乗り越えるために打ち出された権力像だった。

しかし、村上自身が提起したこのヴィジョンは、村上自身によって裏切られている、と著者は見る。「1Q84」についていえば、BOOK3の段階では、それまでに取り組まれていた「リトル・ピープル」の問題性が後景に退き、問題を外部に求める「ビッグ・ブラザー」的な構想が再び前面に出ている。また「レイプ・ファンタジー」的プロットも相変わらず顔を覗かせてしまった。

ここが村上の、そして村上読者の限界なのだろうか。そして日本の想像力の?
そうではない、というのが著者の主張だ。先端的な想像力は、今やたかだか数万〜数十万部で大騒ぎの「主流文学」などではなく、ケタ違いの金が動く、ポップカルチャーにこそ宿っている、というのは大塚英志が20年以上前から言ってきたことだが、著者もそれを引き継ぎ、オリジナルから長い年月を経て2000年に復活、幅広い人気を得ている「平成仮面ライダー」に注目する。

議論の詳細は本書に譲るが、そこでの行論はドラマティックでもあり、アクロバティックでもある。仮面ライダーはその出自からして、「悪(権力)とは何か」という問いに正面から立ち向かわざるを得ない。「何を目的に、誰と戦うのか」。それが明確にならないと物語が作れないのだ。そこで制作陣は、続々と新機軸を打ち出す。ライダー同士の戦い、変身システムの変更、敵・味方と善玉・悪玉の分離……等々。その過程から、著者は「リトル・ピープル」としてのこの時代の権力の姿をあぶりだそうとする。

その試みは成功したかどうか、容易には判断できないが、本書が日本の文化批評の歴史に、引き返せない印を刻んだことは確かだろう。「リトル・ピープル」の時代の文化批評は、もはや中年オタクのノスタルジアや幼稚なショーヴィニズムではいられない。ましてやありもしない「外部」の大きな何かに敵を求めるような思考はナンセンスである。10年代の、そして311後の日本という「いま・ここ」でしか生まれえなかった想像力を探る端緒を、本書は提供してくれる。「われらの時代のジョン・フィスク」の誕生。それをわれわれは目撃しているのかもしれない。

☆人気サイトランキング☆


[ニュース|着メロ|SNS]
[動画|ゲーム|ヤフオク]
[便利|辞書|交通]
[ランキング|天気|メル友]
[住まい|マネー|ギャンブル]
メル友募集掲示板☆
ケータイランキング!
クラシックランキング

today:011 yesterday:007
TOTAL:11359
Ads by Sitemix